ゴリラゴリゴリ

オタクでありニートであり社畜である

推しが死んだ

これを読む人の中には何言ってるかわかる人もいるし分かるけどネタバレになる人もいるから敢えて詩みたいな文字にして残そうと思います。










推しがよく死ぬ、不幸になる











よく言ってるんだけど私の推しはよく死ぬ。
死ななくてもフェードアウトしたり不幸になったり望まぬ未来を迎えたりする。
フェードアウトは作者のアレだから今回は除外して。
個人的に推しが死ぬことには慣れないし悲しい。
それでも私は時間をかけてその死を未来を受け入れるようにしている。

認められなくて、受け入れたくなくて、あの時ああしていれば、この時こうしていれば、死ななくてもよかったのに、幸せになれたのに。
もちろんそう思う日もある。
それでも残された私たちはその死を受け入れなくちゃいけない。
だってそれを否定したら推しの生き方、存在そのものを否定することになりかねないから。

彼らの選択が正しいと証明できるのは私たちしかいなくて、それはイコールで彼らの死を受け入れるということになる。と思う。
だから私は彼らの死を受け入れる。
彼らはたしかに生きていて、その人生が無意味でも無価値でもなかったことを知っている。たとえその答えが死であったとしても。


この話はそれを前提として聞いて欲しい、個人的な主観に基づく「それでも認めたくないこと」を主張するための壮大な言い訳に過ぎない。
大前提も個人の主観で価値観で限定的な一意見なんだけど…

なーんでよく推しが死ぬのか考えてみた。
死相が見えてる、という意見もあったけどそれじゃ「よく好きな人が死ぬ」のではなくて「よく死ぬ人が好き」になって因果が逆転してしまう。
よく推しが死ぬ理由はいづれ解明したい。

今回はそうじゃなくて。
私が否定したいのは「自己犠牲」

今回言う自己犠牲は誰かのために自己の体、命を犠牲にしてでも尽くす人。
多数のために自分(唯一)の犠牲を厭わない人。

例えて言うなら「TIGER & BUNNY」の「鏑木虎徹」や作品上死ぬことは無いが「あんさんぶるスターズ」の「守沢千秋」とか。
他人に対してはどこまでもお人好しで暑苦しいほどに馴れ馴れしくお節介、そのクセ自分には一定以上近づかないように笑って誤魔化して距離を置く人。
この手のキャラは大抵、他者のために容易に自身の体をぞんざいに扱う。

他人には「体は大切に」「無理をするな」「人を頼れ」「生きて」という癖に自分はといえば簡単に無理をして、ボロボロになって誰かのために死んでしまう。

医者の不養生、紺屋の白袴、医者の若死に出家の地獄!

そんな人の「生きて欲しい」「幸せになれ」になんの説得力があるのだろうか!

この手のキャラは「幸せになれ」と残される人に願うのだろう。実際口にするキャラもいるだろう。
この人たちは一様に自分に対して無頓着で他人に対して無頓着なのだ。


他人が大事、人間が好き、口ではそう言いつつ他人のことなんて考えもしない傲慢ちきで自己中心的で独善的で身勝手極まりない。

どこに大事な人を犠牲にした上で成り立った未来を心から1点の曇無く幸せに過ごせるというのか。
残された人は生きなくてはいけない。
死んでしまった人の分まで。
それが自分のために死んだのなら尚のこと。
その人が自分にとってかけがえのない人であったのなら尚のこと。

どうしたら良かったのかといえば、彼らは「死んでも生きる」べきだった。

自分が死んででもみんなを守るんじゃない。
死んでもみんなを守って自分も生きる。
どう考えても最後までそう信じて足掻くべきだったのに。
みんなが助かった、よかった、そう言って簡単に自分の命を諦めるのが許せなかった。

もちろん、それが最善だったことも、それこそが彼らたる所以だということも、本当は死にたくなんてなかったこともわかってる。

わかった上で聞き分けのない幼児のようにひとりで駄々を捏ねているだけなのだ。

命には限りがある。
だからこそ毎日を精一杯生きて、それで迎えた死なら悔いるは事はない。

そうは言ってもそんな綺麗事を飲み込めるほど聖人ではないから。

これから平和になって、幸せにみんなが暮らす世界で、ただそこにいない推しを思って私は泣いてしまう。

死んだことが悲しいのではなくて(悲しいけど)その先に彼らが作った世界に彼らが居ないのが悲しい。

彼らのおかげで世界中の人が幸せになっても本人が「生きて」幸せになれなきゃなんの意味もないのに。
彼らは英雄だけど平和のための機械じゃない。
生きていればあったはずの可能性を思えば思うほど、自己犠牲ほど思いやりのない行為はないと思う。

うーん、結局何が言いたいのか…
推しが死んで思ったことをどうしても言葉にしたくてつらつらと書いてみたけど、多分まだ言い足りないことはあるだろうしこれ以上言えることもないだろう。
なんにせよどんな形であれ死を受け入れても死んでよかったなんてことはないんだなあ…

(夢オチでもいいから生きててくれたら嬉しいのにな)


今日も私の推しはよく死にます。